[政治の現場]参院の力(8)財界との窓口役を自任  24日夜、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開かれた国民政治協会の新年懇談会。自民党と財界のトップら800人が集う、この毎年恒例のパーティーは、いつもと雰囲気が微妙に違っていた。  「参院選の年、物心両面の支援をお願いしたい」と安倍首相があいさつすれば、日本経団連の御手洗冨士夫会長が「支援をする」と呼応した。  これだけ聞けば、いつものエールの交換だが、どこか冷ややかな空気を感じた出席者は少なくなかった。  自民党の片山参院幹事長が会場を見回すと、経団連で政治を担当する宮原賢次副会長(住友商事会長、コラージュ右)が見当たらなかった。宮原の「欠席」は知人の葬儀出席のためだったが、片山らは「宮原さんは自民党に怒っているから来なかったのではないか」とささやきあった。  思い当たる節がある。  内閣支持率の低落に苦しむ安倍は昨年12月19日、自民党の中川幹事長を首相官邸に呼び、大手銀行からの政治献金を辞退するよう指示した。法人税を納めていない銀行から献金を受ければ、自民党が批判されかねない、との判断からだ。  安倍の突然の指示と同時刻、全国銀行協会の畔柳信雄会長(三菱東京UFJ銀行頭取)が記者会見で、9年ぶりの献金再開に意欲を示していた。間の悪さは極め付きだった。  「頼んでおいて、急に『いらない』とは、非常に失礼だ。顔をつぶされた」  自民党から懇請され、全銀協に献金再開を働きかけていた宮原は、ピエロにされた怒りを周辺にあらわにした。国民政治協会の新年懇談会の一角では、これを伝え聞いた自民党幹部が銀行の担当者に頭を下げる場面もあった。  党内には「黙って銀行の献金を受ければ、銀行が悪者になるだけだったのに、自民党が断ったために痛くない腹を探られた」という安倍批判も出る始末だ。  多額のカネがかかる参院選を控え、安倍政権と御手洗経団連の足並みはそろっていない。自民党内で、経団連の意向を最も敏感に把握できる立場にいるのが参院自民党幹部だ。  昨年11月16日朝、国会に近いキャピトル東急ホテルで、経団連と参院自民党の勉強会が開かれた。  出席したのは、片山、林芳正内閣府副大臣(コラージュ左)らと、宮原ら総勢約50人。朝食後、経団連は企業の負担が重くならないよう、国際水準に合わせた税制改正などを要望した。  自民党参院議員に限定した、この異例の勉強会が始まったのは1999年、竹下元首相の仲立ちだった。それ以来、年に3~4回開かれている。  事務局を務める林は「参院議員は任期6年で、解散もないから、じっくり勉強できる。個々の参院議員が財界との人脈を広げる良い機会にもなる」と言う。  勉強会は、経済法制や環境、エネルギーといった分科会も設けられ、参院中堅議員と実務を担当する専務・常務クラスとの顔つなぎの場となっている。  財界との「窓口」の座をめぐって、参院自民党が衆院との対抗意識をむき出しにしたこともある。2005年5月、党幹事長代理の安倍が党改革の目玉として新たなシンクタンク(政策研究機関)設立計画を披露した時のことだ。  党役員会で「財界から設立資金を集めるパーティーを計画している」と説明した安倍に対し、青木参院議員会長と片山が「党内の理解を得るべきだ」と待ったをかけた。参院自民党を出し抜いて財界とのパイプを作ろうとしていると受け止めたのだ。  片山は、直後の記者会見で、「参院は6年間、経団連と勉強会をやっている。あれも一種のシンクタンクだ」と強調した。  パーティー計画は白紙に戻った。経団連も、その後の資金拠出に難色を示し、シンクタンク構想は尻すぼみとなった。  経団連は、最近3回の参院比例選に自民党から組織内候補として加納時男(98年、04年)、近藤剛(01年=その後、議員辞職)を擁立し、当選させてきた。だが、この7月の参院選では候補の擁立を見送る。経団連幹部はこう説明する。  「候補を当選させるのは簡単ではない。財界は票よりもカネで支援していく方が得意だから」  青木は経団連に「引き続き、薄く広く支援してほしい」と、参院選で「票」でも支援するよう求める。  しかし、財界がどこまで本腰で応じるのかは見えていない。(敬称略)  〈国民政治協会〉  自民党が献金の受け皿としている政治資金団体。日本経団連の会員企業や業界団体などは国民政治協会を通す形で、自民党本部に献金している。かつては100億円以上の企業・団体献金を集めていたが、2005年収支報告では企業・団体献金は約27億円。会長は根本二郎・元日本郵船会長。財界が造船疑獄の反省から1955年に設立した「経済再建懇談会」が前身。