◇岡山国体クレー射撃トラップ団体戦3位に導いた  ◆世界と戦う自分に回帰   「去年の自分とは違う」。銃を静かに構え、飛び出してくるクレー(皿)に反応することだけに集中していた。  2005年10月26日、岡山市の岡山県クレー射撃場で行われた岡山国体クレー射撃競技トラップ団体戦。福島県代表チームの最終射手として射台に立った。団体戦は3人1組で計300枚のクレーをどれだけ命中させるかで勝負が決まる。最後の自身の結果で上位が狙える位置にいた。  クレーが飛び出してから引き金を引くまでの時間はわずか1秒もない。一瞬の気の迷いがそのままミスにつながる。「わざと何も考えず」、ただ目の前のクレーに体を反応させていった。気付けば、25枚中24発命中した。結局、計4回(100枚)の射撃でミスは7枚のみだった。振り返ると、満面の笑みを浮かべた監督が大声で叫んでいた。「3位に入ったぞ」。うれしさがこみ上げた。                     ◇  郡山市の銃砲店の長男として生まれ、大学卒業後に実家を継ぐため、都内にある銃の輸入業者などで銃の営業や製造を学んだ。そんな中で知人に誘われ射撃を始めたのは31歳のとき。最初は「20発撃って、1、2枚程度しか当たらなかった」が、狙い通りに撃てるようになってくると、射撃の面白さに引き込まれていった。すぐに頭角を現し、日本選手権優勝や、アジア大会出場など順調にキャリアを重ね、「オリンピック出場も目標に掲げていた」。  だが、00年10月にガンを患った。医者には「最悪の場合もある」と言われたが、抗がん剤が効き、体重も10キロ以上減りながらも回復。4年間のブランクを経て、04年10月、復帰後初の全国規模の大会となる埼玉国体でクレー射撃競技トラップ団体戦に出場。しかし、結果は35位の惨敗に終わった。再び射撃場に立てたことで満足していた自分に気づいた。  わずかなバランスの崩れもなくそうと、それまで使っていたヨーロッパ製の銃から、メーカーに発注して自分の体に合った銃に変えた。練習場に通い詰め、練習が終わると、調子の良かったころのビデオを何度も繰り返して見て、フォームをチェックした。                     ◇  今年は韓国やイタリアなど海外での大会に出場する予定。目標とする北京オリンピック出場にはワールドカップなど世界レベルでの良い成績が必要で、オリンピック出場の道は平たんではない。「岡山国体があって世界と戦おうとしていた以前の自分のレベルに戻れた。本当の勝負はこれから」(船越翔)  〈プロフィル〉郡山市在住。48歳。1992年全日本選手権大会トラップ優勝。現在は選手として五輪を目指す一方、県クレー射撃協会事務局員として、クレー射撃の普及活動にも力を入れる。  写真=クレーに狙いを定める大竹選手(2005年の岡山国体で、大竹さん提供)  写真=大竹淳さん