◇はら・ゆみこ  ◆大阪国際女子マラソン 走れるって喜び 鮮烈デビュー暗転、けが続き1年半辛酸   マラソンデビューとなった2005年名古屋国際の走りは衝撃的だった。苦痛に顔をゆがめながらも、軽快なピッチ走法で2時間24分19秒の好記録をマークし、初マラソンで優勝。勢いに乗って、夏の世界選手権ヘルシンキ大会は日本選手最高位の6位入賞を果たした。まさか、その後、1年半近くも、マラソンを走れなくなるとは、本人も予想していなかった。  ヘルシンキ大会前に痛めた右足かかとから始まり、くるぶしも故障、さらに右足甲に3か所の疲労骨折が判明した。痛みが引き練習を再開したら、再発する繰り返し。ヘルシンキでは10キロ付近で引き離されたとはいえ、優勝したポーラ・ラドクリフ(英)に勝負を挑んだ。それだけに「夢が目標に近づいた感じがあったのに、それがどんどん遠ざかってしまって悔しかった。『何で走れないのか』とイライラした」。  昨秋からようやく継続的な練習ができるようになった。足慣らしの駅伝では本来の走りができず、悔しい思いもしたが、その分、大阪にかける思いは強い。「結果を出すことで(お世話になった人への)感謝の気持ちを表したい」。年末から約1か月の中国・昆明合宿も「気持ちよくできた」と充実したトレーニングをこなせたようだ。  「世界選手権に出て前(6位)より上を目指したい。できればメダルを狙いたい」と前向きな姿勢も取り戻した。「走る喜びを感じている。レースが楽しみ」と、気負いなく話す25歳は、初めて挑む大阪で、再びアグレッシブな走りを見せる覚悟を決めている。(新宮広万)  写真=(上)名古屋国際女子マラソンでは初優勝を飾った(2005年3月)(下)1年半ぶりのマラソンに挑む原